蛍光灯が宇宙になったなら

底辺雑記ブログ

都会の魔物

茨城の辺鄙な田舎で生まれ育った私は、都会への憧憬とコンプレックスを抱いていた。


田舎者の性根が丸出しである。


何せ実家は最寄り駅からは遠く、その駅には自動改札機もない。都会や地方都市の駅では近くに行くとピッとICをタッチする機械音が連続的に聞こえるが、そこでは聞こえることはない。2009年には東京近郊区間Suicaの利用が可能になったらしいが……。


2017年には無人駅と化し、電車も一時間に一本、バスやタクシーなどの交通機関もあるにはあるものの利用するには不便。


暇つぶしや遊ぶ場所もあるにはあったが、私にはとても退屈に感じられた。友達が多いわけでもなく、私と仲良くしてくれている人間とも、頻繁に遊んだりする仲でもなかったから。


都会に若者が一極集中するのも無理はないと田舎からやってきた私は強く思う。


東京ではないが、初めて高速道路を奔走する父の車の窓から幕張のビル群を目にしたとき、私は感動したものだ。


ああ、これが都会か。


空を埋め尽くすような高層ビル群に目を奪われ、田舎では見ることの出来ない光景に高揚を覚えるとともに少しの恐怖を体感した。


初めて東京に訪れたのは、渋谷か、押上か。それとも浅草だったか。よく覚えていないけれど、そのどれかだった気がしている。


平日の朝、間違えて東京方面行きの電車に乗ってしまった時、通勤ラッシュで人が小さな箱の中にギュウギュウに押し込まれていた。背が低い私は、必死になってスーツの中年サラリーマンの腹に溺れないように踏ん張っていた。人間を掻き分け、すみませんと声をかけながら電車のドアに辿り着くのも一苦労だった。


都会は私の目を飽きさせることなく魅力する。


そうは言うものの人混みは正直苦手だ。


息が詰まるし、目のやり場に困る。それに、都会はお洒落な人間が多い。男女共にルックスのいい人間を目にすると、自分が惨めで情けなくなってしまう。お洒落だなァと街行く人々を眺めながら、私は自虐家の怪物へと成る。


自意識過剰なのは充分承知している。これは私自身の性質なのだ。根本から変わることがなければ、怪物からは逃れられない。


都会には多くのゴミが棄てられている。以前渋谷を訪れた際、煙草の吸い殻が大量に棄てられていたエリアがあったし、乗り換えで頻繁に利用する西日暮里のトイレに日が暮れてから行くと、大体飲み物のゴミが放置されていたりする。


この前西日暮里で山手線に乗り換えるとき、ペットボトルが放置されていたのでバッグに入れて持ち帰ろうと企み触れたところ、濡れていて気持ち悪かったので罪悪感とともに置いていってしまった。


極小な雲さえ隠してしまう高層ビル群を見上げながら、都会に潜む魔物へと喰われてしまう。


これからもきっと、喰われることになるだろう。


コンプレックスがゆえに。