蛍光灯が宇宙になったなら

底辺雑記ブログ

かけ離れた自分自身

私を取り囲む人間は、私という人間を理解したふりをして、私という人間の構造を決めつけて、私という人間を苦しめてきたような気がする。


気がする、というのは単純に私という人間の心が弱いだけで、私はそんな人間ではない!と主張できる強さがなかったという、たったそれだけの話なのだけれど。


小学校から高校まで一緒で、たまに話すような間柄だったクールで綺麗な同級生は、不出来な私のテストの点を見て、意外だね、と言い放ったのを私は今でも覚えている。


意外だね、というのは私という人間は眼鏡をかけていてブサイクで教室の隅っこでボーッとしているような気持ち悪い奴だから、恐らくそんな奴にはガリ勉の固定観念が彼女の中には存在していたのだろう。


彼女の中の私は半分くらいが虚構で、現実は勉強すらもできない、本当に気持ち悪い奴だったわけだけれども。


母や父にも、貴方は真面目なんだからとか、貴方ならできるとか、本読むの好きでしょとか、文章書くの得意だもんねとか、そう言ったことを言われてきたけれど。


そんなものはすべて嘘で彼ら彼女らの妄想で、せめて無能な自分の娘にはこうあって欲しいという願望で、現実の私と彼ら彼女らの私は異なった性質を持っているのだ。


私という人間は全くの真面目ではなくそれどころか怠惰で不真面目だし、本を読むのは嫌いではないが私が文章に没頭するのも無能な私自身から目を背けたいだけだ。


私がものぐさだということは先ほどの同級生には分からなくても、両親は知っているはずだけれど両親も私と同じようにきっとそんな私から目を背けたいのだろう。


それなのに、まるで私達は貴方のことを分かっているからなんて、理解したように振る舞われてしまう。


周りが創造する私の性質と、現実の私の性質は違うから。



そんなこと、当たり前の話なのだけれど。