蛍光灯が宇宙になったなら

底辺雑記ブログ

夏の地方都市にて

某日。


むせかえるような暑さと、煩く耳を支配する蝉の鳴き声を背に、私は地方都市の駅の近くを目的もなく歩いていた。


お世辞にも高いとは言い難い雑居ビルの熱風を体全体に受け止めて、人混みを掻き分けてゆく。


道端。端正な顔立ちをしているお兄さんと目が合ったような気がして、私は思わず目を逸らして下を向き、再度顔をあげる。


綺麗な女性がこちらを見ている気がする。実際はどうであるのだろう。被害妄想?だといいのだけれど。


道路を走る車でさえもが私を見ているような感覚にとらわれる。横断歩道を渡るたび、なんだこいつと思われてはいないだろうか。そんな気持ちになる。


日常生活を送るだけで襲ってくる不安が私の脳内でいっぱいになって、心臓が大きく鼓動してこだまする。ティンパニを叩くがごとく。


そんな私の想いを無視するように、夏の太陽が私を照りつける。私だけを傷つけるように。


本当は私自身だけではなく他人もその太陽は傷をつけているのだけれど、人間の思考とは愚かなものでそう錯覚してしまう性質を持つらしい。


空を見上げると、雑居ビルの上は無限の青が広がっていて、ファンタジーのような純白と柔らかさを見せつける雲が優雅に浮遊している。


太陽の方向を見ると、紫外線が激しく照りつけ快晴の青さまでも遠ざけていた。


外出は駅に始まり駅に終わる。


駅というのはあまり好きではない。特に電車から大量の人間が降りてくる瞬間と、降車した人間が階段を登ってホームから駅ナカへとやってくる風景、或いは駅ナカからホームへとやってくる風景がとても苦手だ。


電車の座席が空いているのを確認して座る。


私が座ったことにより隣の人間の思考の変化の有無が気になってしまう。それがプラスの思考ならいいのだけれど、空想するのはマイナスな思考ばかり。


私臭くないかな。このヒトから私はどう映っているのだろう。


人間というのは見知らぬ人間にも最低なことを思えるもので、それがどうしても頭の中を駆け巡ってしまう。


正面を見るとこれまた人間が座っている。


ブサイクって思われていないかな。こっち見んなとでも思ってるのかな。


そんなマイナスな思考ばかりが私を支配して、それでも私はスマートフォンを弄ったりバッグに忍ばせた本を取り出して読んだりして、なんでもないふうを装っている。


私の素は、私の本当は健常でも何でもなく、ただの気持ちの悪い人間なのだけれど、せめて表向きは健常者でいられたらいいなと思う。


否、思考でさえも私の内面でさえも私の交友関係でさえもまともにしてほしいものだ。


蝉が煩く鳴いていても、それが鬱陶しく感じないような夏が訪れますように。